こんにちは。 ありがとうで送るお葬式® 家族葬のウィズハウス新宮・ベルホール中本・ザ・スランバーズガーデン・そうそうの郷太地を運営しております中本葬祭の中本です。
冠婚葬祭の各種の行事は、人がこの世に生を受けてから死ぬまでの人生におけるライフイベントであり、必ずと言ってよいほどその場には食事が提供されます。
日本では古来から冠婚葬祭に限らず、何かの際には会食の場を設け、ご参集頂いた皆さまが一同に会し、同じ空間で同じものを食べる事で心を一つにする、あるいはその場に集った人との結束を強めるという事を重んじられていました。「同じ釜の飯を食う」という言葉もある通り、同じ空間で同じものを食べるという事を共有するという事は冠婚葬祭においては非常に大切なことであり、その行為を共有することで一族の結束を含めた人と人との絆を強くしていくものです。
そして、冠婚葬祭において提供される食事はいわゆる「ご馳走」です。
私自身の冠婚葬祭における「ご馳走」は3・4歳辺りまで遡ります。祖母が私の育ての親代わりだったのですが、時々、夕方になると祖母が黒い服に着替えて、ちょっと普段とは違う険しい表情で出掛けていくのです。
祖母が黒い服を来て出掛けていく日は、子供達だけで食事を済ませてお留守番をしなければならないので、とても寂しく心細かった記憶があります。しかし、20時も周り、待ちくたびれて眠くなり始めた事に祖母が和菓子を持って帰ってくるのです。
「ばあちゃん、これなぁに?」とたずねると「これはソウシキマンジュウやで。お通夜にお参りに行ったらこれもらって帰るんや」と教えてくれました。
子供の私には、全く理解することが出来ませんでしたが、とにかくおばあちゃんが夕方になって黒い服を着て「オツヤ」と言われる何かの集まりでどこかに出かけると、「ソウシキマンジュウ」というものをお土産に持って帰ってくるのだと理解し、それ以後、おばあちゃんの持って帰ってくる「ソウシキマンジュウ」を楽しみにお留守番したものです。ちなみに、つぶあんが苦手な私は、大して食べることも出来ないのに手だけは付けて、その和菓子の美しさと、おばあちゃんが帰ってきたことの嬉しさを噛み締めていました。
これが、私にとって冠婚葬祭における「ご馳走」つまりその時にしか食べることが出来ない特別な食べ物でした。
しかし、近年のような飽食と言われる現代において、必ずしも冠婚葬祭に提供される食事は「ご馳走」と感じない方が増えています。
特に葬儀における食事をご馳走と感じない方が増えています。家族葬などの小規模な葬儀が増えたことで、祭壇なども予算をかけないで行うことが増えてはきていますが、それと同時に多くの方々に振る舞っていた食事も気が付けば家族だけという場合もあり、このような場合は「お腹が満たされれば良い」という考えが優先されてしまうことも多く、「近所のコンビニで買ってきたお弁当で済ませる」という方も少なくない状態になってきました。
昔はお正月・お盆くらいしか食べれなかったお寿司も毎週当たり前のように食べることの出来る時代に、本当の意味のご馳走は冠婚葬祭において必要が無いと考える方も増えています。
言葉の意味からの「ご馳走」とは、おもてなしをする側が四方八方に走りまわって、かき集めた「食材」を使って振る舞う食事がご馳走であり、そういった本来の意味のご馳走を食べることのできる機会は冠婚葬祭においては壊滅しているかもしれません。
美味しい料理を食べたいという欲求は誰もがあると思いますが、本当に心のこもったご馳走を食べることが本当の意味で幸せなことだと思います。そういった意味では葬儀における食事がご馳走だと評価されない現状は私自身も多いに反省しなければならないことのひとつだなと感じております。
本日は以上です。これら以外にも葬儀や家族葬に関すること、お仏壇や墓地に関すること、散骨などに関する疑問・質問も中本葬祭までお気軽にご相談ください。
この記事の著者:(株)中本葬祭/専務取締役 中本 吉保