中本葬祭ブログ

比叡山延暦寺の「不滅の法灯」全国行脚「分灯式」が行われました

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紀南地方で5式場を運営しております中本葬祭の中本です。

昨日、4月2日に比叡山延暦寺で「不滅の法灯」全国行脚の「分灯式」が行われましたね。

テレビなどでこちらの行事を知った方も多いのではないでしょうか。

そこで今回は、「不滅の法灯」についてご紹介させて頂きます。

不滅の法灯とは

不滅の法灯(ふめつのほうとう)とは、比叡山延暦寺の根本中堂内陣にある、西暦788年(延暦7年)に最澄が根本中堂の前身である一乗止観院を建立した際に、本尊の薬師瑠璃光如来の宝前に灯明をかかげて以来、1200年間一度も消えることなく輝き続けていると伝わっているため、「不滅の法灯」と呼ばれる灯火を言います。

最澄の「明らけく後の 仏の御世までも 光りつたへよ法のともしび(仏の光であり、法華経の教えを表すこの光を、末法の世を乗り越えて弥勒如来がお出ましになるまで消えることなくこの比叡山でお守りし、すべての世の中を照らすように)」との願いを込めたと伝えられています。消えずの法灯(きえずのほうとう)とも呼ばれています。

現在も菜種油を燃料にして灯芯が浸り、火が点るという当時のままの構造の灯篭内で燃え続けています。

今日でも毎日、朝夕の2回、燃料の菜種油を絶やさないように僧侶が菜種油を注ぎ足し続けています。

気を抜くと燃料が断たれて火が消えることから「油断大敵」の「油」の文字の語源になったとも言われています。

なお、比叡山延暦寺は歴史上、数度の焼き討ちに遭っており、元亀2年(1571年)9月の織田信長の比叡山焼き討ちの際には「不滅の法灯」は消え去っていますが、法灯は山形県山形市立石寺に分灯されて灯し続けられていたものが、再度延暦寺に再分灯で戻された。

分灯式について

この分灯式とは、大師最澄がすべての人々に安寧と平和を願われて灯された不滅の法灯を4つに分灯し、全国の天台宗各寺院を巡る行脚を始めるための特別な儀式です。

今年は残念ながらコロナウイルス感染症の拡大防止策として、一般の方の参列は叶わなかったようですが、不滅の法灯などについてもわかりやすく説明されている動画がありましたので

以下よりご視聴頂ければと思います。

私たち中本葬祭の地元にも、那智山青岸渡寺様が天台宗の寺院ですので、いつの日か今回分灯された不滅の法灯が届くのかと思います。

 

如何だったでしょうか。

本日は以上です。

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この記事の著者:(株)中本葬祭/専務取締役 中本 吉保