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紀南地方で5式場を運営しております中本葬祭の内村です。
お葬式の場に行くと、供花や供物を見かけるかと思います。
でも、そもそもこうしたお供えのお花や供物ってなぜ必要なのか?なぜお供えしてあるのか?と考えた時に、そう言えばなぜ飾ってあるのだろう?と疑問に思われる方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は「供花や供物をお供えする理由や意味」についてご紹介させていただきます。
供物をお供えする理由について
まず、供物をお供えする理由の最たるものとしては「目に見えないものに対する敬意」が私たち日本人には古くから存在します。和歌山ではゆかりの深い、真言宗の寺院である高野山の奥の院にある御廊では、弘法大師空海様が今もなおそこにいらっしゃり、世界平和と人々の幸福を願い瞑想を続けていらっしゃると信じられております。
高野山の行事の中でも「生身供(しょうじんぐ)」は現在まで1200年もの間、続けられている儀式のひとつ。これは御廟で待つ弘法大師空海様に食事をお届けする儀式であり、1日2回行われています。
御供所にて調理された食事は嘗試(あじみ)地蔵での味見を経て、2人の僧侶が白木の箱に納めて御廟へと運びます。
先頭には案内人である維那(ゆいな【僧侶の職名】)が歩き、御廟橋を渡って燈籠堂の中へ食事をお供えした後、読経して再び御供所へと戻るという儀式が行われています。
このように、私たちの目には見えずとも、確かにそこにおわしますように扱うという行為は、神様や仏様に対する最大の敬意の表し方とされています。
ですので、亡くなった方への敬意の表し方も、神様や仏様に対する敬意の表し方と同様に、そこにいらっしゃるように扱わせていただきますという形になります。
私たちの日常の中でも、もしお客様が見えた際に暗ければお困りでしょうから明かりを灯して明るくする必要がありますし、大切な方がいらっしゃる場が良い香りで包まれるように気を使います。
お客様が来られるのであれば、お花も活けておこうとなりますし、お見えになった際にはお水やお茶を出しますし、お菓子や果物をお出ししてお迎えするというのは、古くからの日本の「おもてなし」の根本的な形と言えます。
このように、自分たちが大切にする人と同じように、あたかもそこにおわしますという形で敬意を表すという事が、供物をお供えする根本的な理由になります。
勿論、宗教や宗派ごとの教えや作法と言うのはそれぞれにきちんと存在しますが、そもそもの私たち日本人の考え方の原点として、こうした考え方もあることを知っておいて頂ければと存じます。
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この記事の著者:(株)中本葬祭/業務執行役員 部長 内村 恵