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紀南地方で5式場を運営しております中本葬祭の坪田です。
以前の記事で三途の川についてご紹介させて頂きました。
今回は、「三途の川の渡し賃は六文」とよく聞きますが、こちらの六文銭の由来などについてご紹介させて頂きます。
以前の記事はこちらからどうぞ
六文銭の歴史
六文銭の歴史は平安時代末期に遡ります。
この頃に、渡し船に六文の料金を支払って渡るという考え方が広まりました。
では、なぜ六文というお金が必要なのでしょうか。
「地獄の沙汰も金次第」という言葉もありますが、三途の川を渡るときにも料金がいるというのは
なんだか世知辛い感じがしますね。
実はこの「三途の川の渡り賃」の伝承は平安時代から伝わる三途の川の言い伝えに、江戸時代になって庶民の創作が加わったものとされています。
六文って今の貨幣価値だといくらくらい?
物価の計算方法はいくつかありますが、だいたい一文が30円~50円(江戸時代前記~中期)と考えられます。
ですので、六文となりますと150円~300円程度という事になりますね。
意外と安いなと思った方もいらっしゃるかも知れません。
しかし、この六文銭は単なる「お金」という意味だけではなく、実は「六文」でなければならなかったのです。
六文銭が「六文」でなければならなかった理由とは
現代でもこの名残がありますが、江戸時代には亡くなった方を納棺する際に、首からかける頭陀袋の中に六文銭を描いた髪を入れるという風習が始まりました。現代でも同様に六文銭をプリントしたものを頭陀袋の中に入れる風習は残っていますね。
これは、地蔵菩薩を大切にした江戸時代の人にとって六道にいる六人の地蔵菩薩に渡すために用意したお賽銭の意味があったからなのです。
この六文銭は別名「六連銭」や「六道銭」とも呼ばれ、仏教の六道に由来しています。
仏教の六道とは「天道」・「人間道」・「修羅道」・「畜生道」・「餓鬼道」・「地獄道」の六つです。
これらに一文ずつ置いていくための「六文銭」これが「六文」でなければならなかった理由です。
また、六文銭には生前の罪を悔い改め、仏に帰依し仏道に精進しますというお賽銭の意味もあります。
また、副葬品の「六文銭」は幕府に禁止されるまでは紙に描いたものではなく、本物の硬貨を使っていたようです。
【余談】真田幸村の六文銭
もう一つ六文銭といえば真田幸村(信繁)のトレードマークとしても有名ですよね。
旗印や兜に使われているので、とても目立ちます。
この六文銭の旗を掲げて戦うという事は正に「決死の覚悟」であることをアピールしています。
自らの死を前提にして戦う姿勢を見せることで真田の兵たちには、大変な覚悟が生まれたと言われています。
当時、この赤に六文銭の旗を洗浄で見た相手は、恐れおののいたという逸話もあります。
本日は以上です。
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この記事の著者:(株)中本葬祭/美粧企画部 坪田 玲子