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紀南地方で5式場を運営しております中本葬祭の坪田です。
私たち中本葬祭の地域である、和歌山県新宮市や那智勝浦町のお葬式では、お通夜の際に「御詠歌(ごえいか)」がご遺族・ご親族と参列者の皆様で唱えられる事が長く行われてきました。
その御詠歌の中でも西国三十三箇所の御詠歌がこちらの地方では唱えられものなのですが、
今回は、この意味や由来についてご紹介させて頂きます。
御詠歌とは
御詠歌は、仏教の教えを「五・七・五・七・七」の和歌の形にして一般の人々に伝えられたものとなっています。
御詠歌には独特な旋律があり、曲に乗せて唱えられています。
広く全国に伝わった御詠歌は、主に真言宗、浄土宗、曹洞宗、臨済宗などがあり、宗派の中でもそれぞれの流派があります。
具体的に御詠歌の歌とはどういったものであるか?については、下記の動画をご覧になってください。
那智勝浦町にあります、天台宗のお寺様である那智山青岸渡寺様は西国三十三箇所第一番の札所としても有名です。
西国三十三所霊場の由来について
西国三十三箇所霊場について、なぜ霊場(札所)が33カ所なのだろう?とお思いの方もいらっしゃるかと思います。
西国三十三箇所霊場に指定されているこの札所は、すべて観音様と称される事も多い観世音菩薩を御本尊とする寺院です。
観世音菩薩は現世の衆生の嘆き悲しみを聞き、もらさず救うため、33の姿に変化されるといわれる方であるのが由来のようです。
この西国33カ所の観音霊場を巡れば、この世で犯したすべての罪業が消滅し、極楽に往生できるとされているのが「西国三十三所巡礼」の根底にある教えとなっています。
こうした事から、訪れたすべての寺院で「南無大慈大悲観世音菩薩、種々重罪、五逆消滅、自他平等、即身成仏」と唱えなさい、とする西国三十三箇所巡礼の手引書もあります。
観音霊場三十三所巡礼は、奈良時代からその歴史が始まり、花山法皇(寛和2(986年)出家)が巡礼されたという説があります。
また、『寺門高僧記』に大僧正・行尊(1057~1136)が33の観音霊場を巡ったと記され、平安時代中期には既に西国三十三箇所巡礼が確立していたようです。
後に南北朝・室町時代に東に国の中心が移り、東国からみた西国と言うことで「西国三十三所」の名が定着したとされています。
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この記事の著者:(株)中本葬祭/美粧企画部 坪田 玲子