中本葬祭ブログ

家紋の由来って?

2020/06/25

こんにちは。中本葬祭の汐﨑です。

お盆が近くなってきますと、家紋入りの提灯を用意したりなどで何かと

家紋について触れることが多くなります。

家紋は今でもほとんどの家にあるといわれています。

なかなか普段の生活の中で家紋を意識する機会は減ってきていますが、今でもお墓等には家紋が彫られていることもあり、我が家の家紋は?となったときには、そう言えばお墓に家紋が彫っていたはず!と思い出し、墓地に確認に行くという事も珍しくありません。

そんな家紋のルーツなどについて今日はご紹介させて頂きます。

家紋とはそもそも何?

奈良時代から調度品や器などに装飾目的として描かれてきた様々な文様は、貴族の各家の目印として使う目的へと変化していきました。
その後、平安時代の末期には、西園寺実季や徳大寺実能などの公家が、独自の紋様を牛車の胴や自身の所有物に描いたことが家紋の始まりだといわれています。

家紋には以下のような種類があり、日本では約3万種類の家紋が存在すると言われています。

  • 代表家紋・表紋・・・氏族の代表的な家紋として用いられる
  • 定紋・・・公式に示すための正式な家紋として用いる
  • 替紋・・・定紋以外の家紋として使用
  • 通紋・・・江戸時代に武家だけでなく庶民も使用
  • 拝領紋・・・家臣が主君から授かった君主の家紋

 

江戸時代の家紋について

武家の家紋は、平安時代の末期にも見られましたが、鎌倉時代以降になり定着していたと考えられています。
戦国時代には、同族同士で戦い合うことが増え、敵・味方の区別をしやすくするといった目的にも使用されていました。
急激に家紋の種類が増え始めたのもこの頃からがキッカケだといわれています。
しかし江戸時代になり、士農工商制度ができ、身分が明確化されると共に、家紋は権威の象徴とされるようになっていきました。
一方で、名字の公称が許可されなかった庶民であっても、家紋をその家・一族の印として使用する事ができました。
また、羽織や裃など礼装・正装の衣服に家紋を入れる慣習が一般化し、武家や庶民が用いる家紋も華美・優美な形に整っていきました。
このことから、左右対称や上下反対になった家紋や、丸囲みの家紋が増え始めた時期だと考えられています。

明治時代以降の家紋について

明治維新後に名字の氏姓制度ができたことにより、名字と一緒に庶民もその家の家紋を作るようになりました。
代々続く武家以外の庶民は、家紋を比較的自由に決められたといわれていますが、中には庄屋や地主などの権力者から家紋を強制的に決められた家もあったという説もあります。

第二次世界大戦後から現代の家紋について

第二次世界大戦後は、洋装が主流になり羽織、袴などの着用機会が減ったため、それと共に衰退していきました。
現在は一家系ごとに一つは家紋が用いられ、冠婚葬祭時の正装時に用いられたリ、老舗や歌舞伎などの伝統文化にも使われていたりしています。
また、墓石や地主の門にも家紋が彫られているのもしばしば見かける事がありますね。

如何だったでしょうか。

本日は以上です。

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この記事の著者:(株)中本葬祭/施工部 汐﨑 剣児