中本葬祭ブログ

遺影写真はいつからあるの?

2019/10/03

こんにちは。

ありがとうで送るお葬式®

家族葬のウィズハウス新宮・ベルホール中本・ザ・スランバーズガーデン・そうそうの郷太地を運営しております中本葬祭の裏東です。

お葬式には必ずと言っても過言ではない位必要な「遺影写真」ですが、そもそも遺影写真はいつの時代から飾られるようになったのでしょうか。また、遺影とはそもそも何なのか?といったところに興味を持ちまして、調べてみました。そこで今回は「遺影写真はいつからあるの?」と言った内容でご紹介させて頂きます。

以前にご紹介させて頂きました「失敗しない遺影写真の選び方について」は以下のリンクよりあわせてご覧になって頂ければ幸いです。

 

あわせて読みたい「失敗しない遺影写真の選び方について」

 

遺影写真のはじまり

遺影写真の始まりは、第二次世界大戦の後あたりなのかなと、なんとなく思っていましたが、今回の記事を書かせて頂くにあたり詳しく調べてみますと江戸時代中期から明治時代初期あたりまでの時代に「死に絵」と言われるものがありました。これは、歌舞伎の役者さんなどの有名人が亡くなった際に、その死を悼み、今の時代で言うブロマイドのような浮世絵が印刷されたようです。役者の似顔絵に、命日、戒名、墓所、生前の業績、辞世、追善の歌句などが記されているもので、こちらが遺影の原型ではないかと言われているようです。

 

死に絵の参考画像

実際に明治時代の祭壇などを見てみましても遺影写真を飾る場所がキチンとあり、明治時代当時から遺影はあったようです。写真は当時、高価なものだったようですが、日清戦争、日露戦争などへの出征の際に出征写真を撮る習慣があったようです。そして、出征先で戦死された場合、こうした写真や肖像画を家に飾っていたのが遺影のそもそもの始まりと言われているようです。このような形で写真があった場合には飾り、無い場合には写真を飾らない形で葬儀が行われていたようです。ですので、始まりはとてもシンプルな理由だったようですね。ただし、これは出征する事で生きるか死ぬかといった一大事の前にせめて写真を残しておこうという思いから広まったものですので、出征する事のなかった女性の場合は、葬儀に遺影写真を飾る風習が一般化するのはもっと後の時代の事と思われます。この後に大正時代にかけて、経済が向上していくとともに、戦争に行くとかだけではなく、それ以外の時にも富裕層は写真を撮るようになり、やがて少しずつ一般庶民にもそれが浸透していったのでしょうね。

視点を変えれば、写真はそもそも生活にある程度のゆとりがあったので撮ってあったというのが昔の人の価値観や考え方とも言えますので、葬儀の際の写真はたった1枚と決めつけずに、何枚かの写真を飾るなんて考え方も、様々な葬儀の形がある今の世を考えれば、そのような葬儀があってもそれはそれで様々なその時代の故人や、趣味を楽しんでいる姿の写真など、また別な側面としてのその人柄を表現できるでしょうし、良いのではないかなと思いました。

 

如何だったでしょうか。

遺影写真に関するご相談や葬儀、家族葬におけるマナーや作法に関する疑問や質問、家族葬に関するご質問やご相談、資料請求などもお気軽に中本葬祭までお寄せくださいませ。

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この記事の著者:(株)中本葬祭/美粧企画部 係長 裏東 勢子